8月6日、米軍による広島への原爆投下から78年。
一瞬にして尊い命が奪われ街が奪われた。
投下から43秒後、そこに居た人は何が出来ただろうか。考えると胸が痛い。
火球の中心温度は100万度を超え、爆心地周辺の地表面の温度は3,000~4,000度に達する…なんて、その時の事を考えただけで苦しくなる。
十数年前の8月6日その前後の日程で広島へ行ったことがある。
その日は朝からテレビもラジオも「広島 原爆の日」について報道されていて、私たちが向かう場所には交通規制もかかっていた。
そんな中、バスの中で黙祷を捧げ、ホテルでは不思議な事が起こった。
(話は割愛しますが)
私たちが遭遇した体験をホテルの女将さんに話すと、「毎年この日に決まって同じ事が起こるのよ」と。
あの日が過ぎてから何年も何十年も苦しみ続けているのだろう…と仰っていた。
怪談話をしたいわけではなく、私はその時、命を終えているのに苦しみ続けるってどれだけの悲しさを背負っているのだろう、と思った。原爆の日になると、その時のことを思い出す。
広島に居た日、黙祷をしながら思った。
その日だけじゃなく、平和の尊さを考えられる日常を送ろうと。
だからこそ、どんな歴史があって今があるのか…を日常的に考えられる人になりたいと思った。
人の命を他者が奪うような事があっては絶対にならない。
二度とこのような事が起こらないように。
犠牲となられた方々のご冥福をお祈りします。
そして今も尚、被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
世界の恒久平和を願って。