こんばんは🥰
今日は、最近感じたことを。
先日、ボイトレで歌のレッスンを受けながら、先生から「表現者として歌で思いきり表現してみて」と言われました。
アコーディオンを弾く、歌を歌う、話をする、毎日色々な事をやっていますが、『表現する』ってどういう風に?
まずそこから考えました。
なんとなくイメージは出来ています。
『自分がこの曲をどう歌いたいか』についてとことん考えました。
吉さんに作って頂いた曲は、自分で歌詞を書いたのでその思いや伝えたい事がはっきりしています。
その感情だけでなく、どんな場所で、どんな人達が居て、どんな状況で歌っているのか、細かく設定して歌ってみました。
すると不思議なことに、歌い終えた後、嗚咽するほど号泣したのです。
私はきっと感情移入しやすい体質だろうな〜と思いますが、歌をうたいながら泣くことがよくあります。
吉さんに曲を送って頂いた日からこれまで、技術的な面はたくさん練習してきました。
所が、なぜかどんなに歌いこんでも自分でしっくり来ないのです。それは、「まだまだ!」と思っているからだと考えていましたが、表現者としての部分をもっともっと出すべきだったのだと気づいたのです。(ボイトレの先生がいつも気付きを与えてくれます)
この感情を言語化するのは難しいのですが、自分がこれだ!って思った時の歌い方って、技術的な面とか細かいこととか覚えてなくって、むしろそこに居る会場の皆さんとの一体感とか、空気感が変わる気がするんです。
吉さんには、沖縄から私の歌声を入れた音源を何度も送り、やり取りをさせて頂いておりますが、ある時、『もっと歌い込んで』という連絡をもらいました。
あの時の私は、『まだまだ下手だから歌いこまなきゃいけないんだ!』と思っていましたが、今回、「そうじゃないかも!これは、山原麗華としての魂を吹き込みなさい」って事だったのかも、と。
レコーディングまでこんなに時間がかかってしまってどうしよう…と焦ってばかりいましたが、今ではこの時間は必要だったんだ!と心から思います。
技術的な面をとにかくやりまくりました。そこをクリアした時に見えてくる、「表現する」ということ。
きっと歌うだけでは誰でも出来る。
でもそこに、『山原麗華』としての感情や想いを「歌で伝える」為にかける時間が必要だったのです。
その曲の事を考えて考えて、真正面から向き合って、その曲が体に染み込んだら、自分の"想い"を多くの人に伝えられるようにならなければなりません。
そして自分もそうなりたい。
でもそれは薄っぺらい"想い"じゃなく、向き合って時間をかけて、模索して悩んで落ち込んで、それでも向き合ってきたからこそ、徐々に厚みが出てきたのかな、と。
そういえば一番最初、吉さんにこう言われました。
『山原麗華としてのアレンジもあると思うから、その時は相談して』と。
実はその一言にはとても深い意味があったのかと思います。
ただ歌の練習をするだけじゃない、時間をかけて努力し、この曲に向き合って涙を流し、笑顔になれたからこそ見えてきたこと。
私にとって必要な時間でした。そして全て必要な事でした。
何より、『表現者』としての私を育ててくださるボイトレの先生や周りの皆さんに感謝です。
『表現者』として、自分の納得がいくまでこの曲にもっともっと向き合いたい。
吉さんが作ってくださったこの曲を多くの人に届けることが、吉さんへ感謝の気持ちを伝えられる方法だと思うから、もっと『山原麗華』としてオリジナルで歌えるように頑張っていきます。
『好き』を追求した先には、もっと大きな何かが待っているんだなぁと思ったのでした。
きっと、努力した人にしか見えない、諦めなかった人にしか見えない景色が広がっているはず。
まだ見ぬ未来を信じて。
山原麗華