山原麗華の活動ブログ♡

沖縄県出身のアコーディオン奏者 / ラジオ沖縄パーソナリティ / 山原麗華の元気なナツメロ(爆笑)→木曜19時30分〜22時 / お仕事の依頼はコチラまで💌reika.yamahara@gmail.com

亡くなった後に聞いた祖父のこと

今日の琉球新報を読んで気になった記事がありました。

『旧満州の写真 届けたい』という記事。

リンクを貼っておきますね⤵

 

あ!実はわたくし、琉球新報の公式アンバサダーですので、ぜひ琉球新報を宜しくお願いします🥰

 

さて、ご高齢の方にお会いすると、よく、

『生きていた頃のあの人に会いたい』というお話しを聞きます。

 

これは私が最近体験した事なのですが、

私の祖父母は父方も母方も亡くなりました。

 

父方の祖父母は長生きだったので覚えているけれど、母方の祖父は60歳を目前に亡くなりました。

おばあちゃんから、おじいちゃんの話しを聞いたことはないし、なんとなく覚えているのはおじいちゃんが昼寝をしていた様子。

 

なぜ思い出したかと言うと、ある写真を見たのです。

私や従兄弟がおじいちゃんの昼寝を邪魔してイタズラしている姿を…😂

カシャッとおさめられていました。

その写真を見て、3歳頃の記憶が蘇ったのです。

 

以前、『写真はその人の記憶になる』と聞いたことがあります。

写真を見ると、当時の記憶が蘇り感動したり切なくなったり。

 

そのカメラマンさんは、東日本大震災の後、泥まみれになった写真を手でふいて涙を流す人を見て、写真を撮り続けようと思った、とおっしゃっていました。

 

生きていた人の記憶を思い出せるのは、写真なんだと。

 

今の時代は動画もありますが、やはりすぐに見られる写真は大切だな…と思いました。

 

さて話しを戻して、私は大学四年生の頃に祖母が亡くなり、その年に東日本大震災が起こり、そういった事が重なって、人が最後に生きる場所を見たいと思ったことがきっかけで介護施設に就職しました。

 

そして多くの人にお会いする中で、人の優しさを感じ、たくさんの愛に触れて思ったのです。

 

”私を育ててくれた両親のそのまた両親はどんな人だったのだろう?”と。

 

そして祖父母が生まれ育った地域で歌い、私ができることでその土地の人々に恩返しがしたいと。

 

やはり、私が生きているのは親や祖父母、そのまた曾祖父母…と続いていくと思いますので。

 

それから、なかなかご縁がなく…

やっと去年の後半あたりから祖父母の地元で歌をうたえるようになりました。

 

すると、『あら?あなた○○の孫なの?』と、丁度私の祖父母と同じ年代の方々が参加してくださるようになったのです。

 

昔の地域は、今よりも人とのつながりが強いからか、私の知らない祖父母の話しをたくさん教えてくれました。

あと…その地域では最先端の商売をしていた事もあって知っている人が多かったようです。

 

私がほとんど知らない祖父の事を教えてもらい、祖父母の人柄が見えてきます。

『寡黙でとても真面目な人だったよ』

『必ず挨拶してくれる良い人だったよ』

『人の為によく働く人だったよ』と。

それがとても嬉しくて、感動するのです。

 

そして、祖父母に出来なかった孝行を 祖父母の友人やその地域の方々に少しでも出来ているんじゃないかと嬉しくなるのです。

 

そして、『山原さんは○○のうまがーねー?はーっせ、ちゅーやいっぺーうむさいびーたん(○○の孫なの?今日はとても楽しかったわ)』と言われると、私ができることで誰かを元気にできて良かったと励みになります。

 

人は居なくなったら終わり…ではなく、誰かの記憶に残り、生きていたという証は必ず残るものだと思います。

 

二千年前の事は分からないけれど、それでも元を辿れば皆誰かの子で、人種や国籍は関係なく、『いちゃりばちょーでー』で皆家族と思えれば戦争は無くなるはずなのに…と思ったのでした。

 

写真からは話がかけ離れてしまいましたが、自分の大切な人の知らない姿や元気だった頃の姿を見られるのは、とても感動するだろうなぁ〜と、今朝の琉球新報を読んで思ったのです。

 

という事で最後に…

懐かしい写真を引っ張り出してきました。

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懐かしさの前に、『あ…私って昔痩せてたのね…』という気持ちになったのでそっと閉じたのでした。

 

 

 

山原麗華