山原麗華の活動ブログ♡

沖縄県出身のアコーディオン奏者 / ラジオ沖縄パーソナリティ / 山原麗華の元気なナツメロ(爆笑)→木曜19時30分〜22時 / お仕事の依頼はコチラまで💌reika.yamahara@gmail.com

本土復帰から51年〜心は豊かだった時代〜

今週月曜日、5月15日、沖縄が本土復帰してから51年が経ちました。

 

先程歌いに行った地域で、『この51年を振り返ってどうですか?』って聞いたら、

『僕達は心は豊かだったと思う』と仰る方がいらっしゃいました。

 

その方は、1949年生まれの74歳。戦後から4年後に生まれたそうですが、貧しかった沖縄を経験し、アメリカゆ〜からB円、ドル、日本円へと、時代の流れを通貨で感じたそう。

 

沖縄はこれまで7回も通貨が変わっていますが、その方曰く、通貨が変わる苦労よりも、

アメリカゆ〜で英語が話せる先輩が多かったり、1978年の730、右側通行から左側通行に変わったことを経験したこととか、欧米化を直に感じられたこと、1972年の本土復帰、高度経済成長期も経験し、目まぐるしく変わる世の中に楽しいとさえ思ったそう。

 

それも全て、『当時の日本は、人々の活気で溢れていたからだと思う』とおっしゃっていました。

私も、1964年(昭和39年)、東京オリンピック開催の日本に行ってみたいし、
オリンピックで盛り上がって、白黒テレビで東洋の魔女を見て、高度経済成長期で、お金の価値が重くて、人々が活気に溢れていた時代をタイムスリップして見たい。

 

あ!あと、テレビが高価で買えない時代だから、町の人達がテレビある家に集まって皆で力道山を応援するっていうのがうらやましくて、私もそれやりたいなーと思う。

 

今はみんなスマホやPCで何でも見られる時代だから一人で何でも完結してしまうけれど、昭和の、みんな同じ物を見て、同じレコードを聞いて、同じ時を共有するって事がうらやましい。そんな私は、人が好きなんだと思う。

 

当時を知る方が、『貧しくても心は豊かだった』と話していましたが、『今の日本は活気が無いさ〜ね〜』というお言葉に、私はクエスチョンマークが並びました。

 

なぜなら平成生まれの私は、バブル崩壊、就職は就職氷河期と呼ばれた時代を育ってきたので、逆に言うと激動の昭和を生きてきた大先輩方のように、活気づいている日本をあまり知らないのです。

 

平成は良かったな〜、音楽も盛り上がってたな〜と思えど、昭和を知れば知るほど、凄いな〜と感じることの方が多い。

 

私もその時代にタイムスリップしてみたいな、と思ったのでした✨

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ちなみに写真は、沖縄が本土復帰前に使われていたドルで作った指輪。


もう50年以上も薬指にはめているのだそう。

 

写真の女性は、『しわくちゃの大きい手よ〜』と話していましたが、そのシワの一つひとつに、誰かを愛してきた人生の証が刻まれているのだと思います。

 

しわも素敵。


だって、その分笑って、誰かを愛して泣いて怒って頑張って生きてきたんだもの。

 

なんて、34歳の私は思ったのでした。